Welcome to Mindful Planet

2010年6月30日水曜日

日本人の呟きはつまらない?




 誰がそう決めたのか、6月30日は世界ソーシャルメディア・デイということに
なったそうだ。
 その記念で昨日は世界中で様々なイベントが行われたようで、私も恵比寿で行われたイベントに参加してきた。
 主催はたしかスイスで生まれた電子名刺を流行らせようとしている企業で、参加者は外国人と日本人が半々くらいだったのだろうか。
 3時間にわたるマラソン・スピーチで、ツイッターやフェイスブックを利用したサクセス・ストーリーなどが披露された。予算がないので通訳なし、とのことで、
スピーチは英語だったり日本語だったり。
 北米でのソーシャルメディアについてはそれなりに知っていたものの、日本では何がどう流行っているのか分からない私にとっては、それなりに面白かったのだが、どのスピーチにも増して印象に残ったのは、後で観客のひとりの日本人の男性のひとことだった。
 講演者たちが語っていた情報は、ちょっと古すぎて、日本の現実を反映していない。
質疑応答で外国人から出た質問にしても、日本語が読めさえすれば、本屋で山積みで情報はすでに出ている内容だ、というのだ。
 帰り道につらつら考えていて、気づいたのだが、いくらネットで世界が結ばれる時代になっても、やはり言葉の壁は大きいし、日常環境から得る情報の力は大きい。
 日本は情報鎖国だから、日本にいる外国人は、いくら頑張っても本国にいるときに比べれば世界の先端情報について疎くなるし、日本における先端情報に関しては、英語に翻訳された情報と口コミが頼りだから、殆ど無知に近いことになる。
 でも対外的には日本にいる外国人はいちばんの日本通だから、彼らの理解できる範囲での日本像が世界に伝わっていくことになる。
 もうひとつ、スピーカーの発言で印象に残ったのは、日本人のツイッターは全然面白くない、ということだった。
 英語版のツイッターだと、呟きの内容は情報だったり意見だったり、内容が濃いが、
日本人の場合は、ほとんど、雨だ、とか眠い、とか、どうでもよいようなことばかりだという。
 これって、社会性に欠ける、という日本人の国民病をみごとに反映している気がする。

2010年5月22日土曜日

アメリカ合衆国の崩壊




 アリゾナ州がカリフォルニア州への水道水と電気の供給をストップすると脅しをかけている、というニュースに、アメリカはますます面白くなってきた、と思う。
 ことの発端は、アリゾナ州が、移民法を強化したことだ。
 国境を接するメキシコからの不法移民の流入を毛嫌いするアリゾナ州では、以前から、武装の自警団が、獲物を待つハンターさながらに国境沿いで餌食を待ちかまえたりしていたのだが、先月になって、州法を改変して、警察の権限を強化。まちなかを歩いている人でも警察官が怪しげだと思っただけで所持品捜索したりできるようにしたのだ。
 日本の常識からすると、え?それって当然じゃん、と思う人も多いかも知れないが、
プライバシー保護や人権、人種差別問題への意識が強いアメリカでは、要はメキシコ系=怪しい=犯罪者扱いは問題視されることになる。
 かくしてメキシコ系移民が多いカリフォルニア州やリベラル派の多い都市が、アリゾナ州の企業のイベント受け入れ拒否などを始めた。それに怒ったアリゾナ州が水道水と電気を売るのを辞めると言い出したのだ。
 合衆国制度で、州ごとに法律が異なるアメリカでは、近年、こうした州どうしのトラブルも増えている。
 数か月前には、ワシントン州がアーカンソー州拒否を宣言した。シアトルで警察官数人を狙い撃ちで殺した犯人が、実は以前にアーカンソー州で州知事の恩赦で刑期を終えずに放免された人物だったことが分かったことがきっかけだった。
 アメリカでは実は、合衆国制度を良しとせず、特にテキサス州など南部では、州の独立を望む層も少なくない。だから、新たな政策が打ち出されようとするたびに、
連邦政府の権限の強化だと恐れ、息巻く。
 広すぎるアメリカ。いっそのことソ連にならって、分裂したほうが世界のためになるような気もする。

2010年4月18日日曜日

赤いシャツ 黄色いシャツ



 昨日はテレビで赤いシャツと黄色いシャツのまったく相反する映像をみた。
ひとつは緊迫が続くタイの近況に関して。ちょうど知り合いに電話したら、取材中に亡くなったカメラマンとは親しい仕事仲間だったと聞かされ、急に身近な出来事になった。昔、ニューヨークの広告代理店でアジアの様々な国の人たちと仕事をしていて、国民性の違いを痛感させられたことがあったのだが、タイの人たちは概して優しく、おおらかで、さすが仏教国などと思っていた。そのタイであれだけ荒れているのだから、悲しい。しかしその報道の最後に、ゲストから、友人がタイに行く予定なのだけれど大丈夫かしら?という質問が出て、キャスターは、まだ都心部だけなので大丈夫でしょうが、赤いシャツと黄色いシャツは避けた方がよいと答え、では何色なら、と突っ込まれて、ピンクとか白が無難では、と答えていたのを聞いて、やれやれ、と思った。島国のせいなのか、どうも日本では海外のことは別世界のできごとにように扱われている気がする。
 などと思いながら、テレビを見ていたら、今度は諏訪神社の御柱祭りの映像で、赤い装束と黄色い装束の男たちが一致団結して、大木を切り倒し、神社まで運んでいた。
なぜ、赤と黄色なのか由縁を調べたわけではないが、国の分裂、市民戦争の象徴となったタイの赤いシャツと黄色いシャツは一転して、こちらは地域の団結の象徴と見受けられた。
 日本に戻ってきた1ヶ月半。20年ぶりの東京はずいぶん変わっていて、日本人の者の考え方や社会意識自体がずいぶん変わった気もするが、大海の荒波には気づかず内海のぬるま湯にぬくぬくしている感は昔も今も変わらない。

2010年2月16日火曜日

カーリング見物



 今日は珍しく雨も上がり、午後からはお日様も射してきたので、散歩がてら、歩いて10分ほどのオリンピックのカーリング会場まで行ってみた。
 おめあてはアメリカと日本の対戦。日本チームが目前のプレス席に着いたが、
カーリングというスポーツが存在することを知ったのも最近で、しっかり試合をみたことがなかったので、見方もよく分からないから観戦というよりは見物。
 あと1分で試合開始でそれまで練習、というアナウンスがあったまま、数レーンで各チーム、いつまでたっても練習が終わらないなと不思議に思っていたら、いつのまにか試合が始まっていたらしく、電光掲示板のアメリカ対日本の欄には、どんどん
アメリカの得点が増えていく。
 しかし、どうじっくり見ても、何がどうなると得点になるのか分からないし、退屈してしまい、三〇分ほどでひきあげてきた。
 でも、せっかく写真撮ったので、ここに掲載。
 今日の感想・・・ふだんは大人しく礼儀正しいカナダ人だが、ことアイスリンクや雪の上のスポーツとなると、俄然興奮して、アメリカ人もびっくりの大騒ぎになる。ビールを飲まなくてもスポーツ観戦で酔っぱらえる人たちなのだ。

2010年2月13日土曜日

オリンピックの舞台裏


 冬季オリンピックがいよいよ始まった。バンクーバー・オリンピックはシンボルマークもマスコットも先住民族の物語からモチーフを得たもの。開会式も先住民族の伝統のダンスをかわきりに始まった。
 そんなにもカナダの先住民族の文化が強調されているのは、実は今回のオリンピックが、先住民族が領有権を主張する地域で開催されているからだ。
 カナダもアメリカと同様、先住民族が全国に散らばって住んでいたところに白人の移民がやってきて、力づくや巧妙な駆け引きでその土地を奪い、都市や農地開発、自然資源利用で国家の基盤を形成してきた。
 カナダ建国にあたって英国女王やカナダ憲法は先住民の領有権を認め、各州は合法的に先住民から領有権を得ることが義務づけられたが、バンクーバーやウィスラーがあるブリティッシュ・コロンビア州では、どの部族も侵略してきた白人に降参もしなければ土地の譲渡にも合意せず、売買交渉も成立しないままになっていた。
 州が先住民の代表との領有権交渉の必要性を認め、交渉に入ったのはなんと百数十年たった1993年のことで、それ以降、何回か会談がもたれたがそのたびに決裂。
先住民の立場からすれば、土地は盗まれたまま、ということになる。
 そのためバンクーバー・オリンピック開催にあたっては、開催地域の領有権を主張する四部族、マスキーム族、スクアミッシュ族、リルワット族、ツレールワートッシュ族に、オリンピックは貧困と高失業率にあえぐ先住民社会にとって経済刺激になり、文化やアートを世界に紹介する絶好のチャンスになると持ちかけ、共催準備金などのかたちで合計数千万ドルを支払い、共催団体にまつりあげることにした。
 四部族の社会ではオリンピックの開催に備える施設建設や、オリンピックにかこつけたスキーリゾート開発のために環境が破壊されることなどを懸念して、オリンピック招聘に反対する人たちが多く、住民投票で公式にオリンピック共催を拒否した部族もあったが、いずれも、親ビジネスの部族政府のトップが住民の意向を無視して共催の契約にサインした。
 現代の先住民族の社会構造は複雑で、多くの部族では選挙で選ばれた政府のトップとは別に、住民が慕い尊敬する古代から続く世襲制のスピリチュアル・リーダーがいて、社会は白人社会への融合を求める人たちと、昔ながらの価値観を守った生き方を求める伝統派に分かれている。
 カナダでも先住民族は白人政府に伝統文化の行事や儀式を禁止され、子供を強制的にキリスト教教育の寄宿制学校に奪われ、しかもその子供達の多くが精神的虐待だけでなく肉体的、性的虐待で苦しめられたという歴史がある。そのため白人のやることには懐疑的、批判的になりがちだが、数世代にわたる圧政のあげく、諦めムードが強く、オリンピックに関しても、反対してもどうにもならない、という声も多かった。
 といったことを考えながら見ていた開会式。聖火台はホスト・ネーションとなった四部族、そして東西南北を代表する四本のトーテンポールが支えるはずだったが、機械仕掛けの故障で一本かけたままになったのが象徴的だった。
 先住民にとってはその欠けた一本は、ルージュ選手の事故死もあわせて、オーメンとして深い意味をもったことだろう。
 三部族のなかで特に貧しくオリンピックへの反対の声が強かったリルワット族ではオリンピック開会前日に同族を代表する伝統工芸士が変死。伝統にのっとって喪に服せざるを得なくなったチーフは開会の祝宴にも参加できないことになったのだ。
 もちろん、バンクーバー五輪はカナダの先住民にとってマイナスとも言い切れない。
先住民といってもBC州だけで203部族がいてそれぞれに文化も言葉もまちまち。歴史のなかで隣国として敵対することはあっても協力したことはなかった四部族が4ホスト・ネーションというひとつの団体を結成できたことだけでも、その意義は大きいという声もある。オリンピックの企画にもひとつの声で主張してきたからこそ、開会式でも舞台の中央に出ることができた、というわけだ。

2010年1月10日日曜日

アメリカの年明け

 ポジティブ思考を貫くのはなかなか、容易ではない、とため息をつきたくなるようなニュースがアメリカでは新年から続いている。
 アメリカはデトロイト空港で起きた航空機テロ失敗事件以来、またもパラノイアが悪化した感で、先週末には、ニューヨークへの玄関口、ニューアーク空港で、恋人を見送りに来ていた大学院生が、空港警備員が持ち場を離れたすきに、搭乗者以外立ち入り禁止区域に数歩、足を踏み入れただけで、空港閉鎖、離陸便は6時間遅れという大騒動になった。男はセキュリティチェックを済ませた恋人にもう1回別れのキスをしただけだ。
 写真を見る限り、男は普通の身だしなみで、テロリストにはみえない。が彼は中国人。これが白人のビジネスマン風だったら、同じことになっていたのか・・・
 オバマ大統領の所属党である民主党の大物政治家が、大統領選挙中に口にしていた人種差別発言を綴った暴露本も波紋を呼んでいる。
 まずは現役の上院議長のハリー・リードが、「(オバマ)はライト・スキン(黒人にしては黒くない)だし、ニグロのアクセントがないから(大統領になれるかもしれない)」と内輪で話していた・・というのは実はアメリカ人の多くがそう思っていた本音だが、問題は、大差別用語のニグロという言葉をリードが使っていたこと。
 ベテラン政治家にしては初歩の間違いだが、リードは71歳。世代的に仕方がない、という見方もできる。
 この世代の人たちと話していると、悪気なく、ジャップ、などという言葉も飛び出してくることは私も承知している。
 しかし、リードにもまして、悪質なのは、ビル・クリントンが昨年亡くなったリベラル派の巨頭、エドワード・ケネディ上院議員に対して語ったという言葉。妻のヒラリーの支持表明をケネディから取り付けようとして、オバマ候補のことを「数年前だったら、僕らにコーヒーを給仕していた立場の男ですよ」と言ったそうなのだ。
 これはあきらかにオバマ大統領個人、そして黒人全般を見下げた人種差別発言。政見的には黒人の権利拡大に積極的で、黒人社会から「米国初の黒人大統領」と名誉黒人扱いで支持されてきたクリントンだけに、衝撃は大きい。
 大統領選では壮絶な戦いの末にオバマ候補に敗れたヒラリーは、いまは国務長官としてオバマ大統領とは親密な仲。浮気問題だけでなく、これまでもビルの失言でさんざん迷惑を被ってきたヒラリーの怒り顔が想像できる。
アメリカの白人の人種差別は根強い。

2010年1月1日金曜日

2010年にスマイル




 謹賀新年。元旦早々、1年ぶりで会った知り合いにブログ読んでますよ、と言われて、はて、最後に更新したのはいつのことやら、と恐縮。今年こそ、わざわざサイトをお訪ねくださる方にとって何か新たな発見があるよう、頻繁にブログすることを新年の誓いのひとつにする。
 さて、私はもとはコピーライターだったので、ちょっとやそっとの広告表現には関心しないのだが、最近、見るたびに気分が良くなるコマーシャルがある。
 アメリカン・エキスプレスの新しいキャンペーンで、チェロの独奏をバックグラウンドミュージックに、日常生活でみかける風景のなかで、見ようによってはしかめ面に見える風景をいくつか紹介した後に、今度はスマイルに見える風景を紹介していくだけのもの。 
  たとえば、お財布、ズボンのポケット、家の扉、飛行機の正面などなど。
 メッセージとしては、Don’t take chance, and take charge. 後で困ることがないように、安心できるクレジットカードを選びましょう。
 アメリカン・エキスプレスなら、カード利用で購入した商品が壊れても保証されるから、スマイルが戻ります、というわけ。
 クレジットカード負債を溜め込み破産する人も多いアメリカの世相を反映、毎月、チャージカードを呼ばれる、しっかり払っていく式のクレジットカードを選んで、自分の人生に責任を持とう、という意味も込められている。
 この不況のご時世に、何かと問題の多いアメリカの金融機関だから、巨額の予算を投じたコマーシャルで庶民の反感を買うよりは、発想力と表現力で勝負、安上がりに、人の心に響くメッセージを作り出せたのはりっぱだし、そう考えた広告会社のクリエイティブ・ディレクターに会ってみたい気がする。
 それにしても、人が誰でも、何の変哲もない風景に、しかめ面やスマイルが認識できるのは不思議だが、発達心理学者によれば、それは人が生まれつきもって生まれたサバイバル本能。赤ちゃんがまっさきに認識できるのは人の微笑み。そして赤ちゃんの笑い顔にはどんな人も微笑ませる癒しの効果と、心の平和への伝染力がある。
 新な年の始まりに、スマイルの連鎖を、世界に広げたい。

CMへのリンクは:
http://www.youtube.com/watch?v=m56F4EKN9hg