Welcome to Mindful Planet

2011年11月27日日曜日

役行者に誘われて、吉野山、洞川・天河


 役行者への縁が強いということなのか、今度は役行者の故郷で、修験道修業の本山として知られる大峯山を結ぶ吉野山と洞川・天河を訪ねる旅に誘われた。
 これまでもっぱら自分で行きたいところを見つけてきて出かけるタイプだったが、誘われての旅には、何か天意がある気もする。
 今回は奇しくも、3年前の夏にディスカバリーチャンネルのドキュメンタリーで取材した足跡をたどる旅となった。吉野山では、前回はビデオ取材を断固として拒否されたので素通りしてしまった金峯山蔵王堂もしっかり拝観。前回は雨だったので奥まで入らなかった竹林院群芳園の庭園が、実は小高い丘に続き、眺めの良い頂上があったことにも驚いた。
 一度食べたら忘れられないひょうたろうの柿の葉ずしは、やはり絶妙の味わいだった。カナダにいたときに、どうしても柿の葉ずしが食べたくなり、かといって柿の葉は手に入らないので、ギリシャ食品店で買ってきたオイル付けの葡萄の葉で巻いたしめ鯖のお寿司をつくったことがある。ギリシャ料理にはお米のサラダをこの葡萄の葉で巻いたドルマという前菜があるのだ。
 さて、奈良県南部は9月の台風で洪水や土砂崩れで大きな被害が出た地域だが、吉野山や洞川温泉は、実害よりもいわゆる風評被害で観光客激減という憂き目を見ている地域だ。
 特に洞川温泉は電車では辿り着けない地域だから、台風時に近くの幹線道路が不通といったニュースが流れると、その印象が長く残り、観光客から敬遠されてしまう。
 天河は実際に水害があり、天河神社の社務所は1メートル60センチのところまで水に浸かったそうだが、今は玉砂利もきれいに敷き詰められ、その痕跡も見あたらなかった。
 ところで、天河神社には本殿を見上げる形でしつらえられた能楽堂があるがその舞台の背に能舞台に定番の松の木が描かれていないのは、舞台背後にご神木の杉が並んでいるからだそうだ。神霊はその杉の木に降臨し、能役者に宿るという。自然と神性と人と関わりのこういう話を聞くとうれしくなる。
 洞川温泉はそもそもは役行者が始めた修験道が広まり、その修行者の宿場として栄えた特殊な地で、大峯山が閉山される10月以降は、温泉客が収入の頼り。過去10年間で修験者も減る一方だったところに加え、今年の秋は台風災害は免れたものの風評被害で観光客半減というのだから、事態は深刻だ。
 逆の見方をすれば、人の賑わいを避け、温泉に浸かって、ゆっくりしたい人にとっては穴場中の穴場ともいえる。
 私は、食事時で人が集まり出す前の開店直後のレストランとか、季節外れの観光地のゆとりのある静けさが好きだ。ことに温泉旅館では、混んでいないほど温泉風呂をひとり占めできるチャンスが多いからうれしい。
 洞川では名物、陀羅尼助もしっかり買い込んだ。キハダを原料とした陀羅尼助は役行者の処方の胃腸薬。自然薬だしとても良く効くので、アメリカにいたときにはわざわざ取り寄せていたくらいだ。
 このキハダは実はアイヌの伝統食でも医薬同源の食材。アイヌの人たちは葉や実もお茶にして飲む。使う部位によって効能が異なるそうだ。キハダの実は山椒のようにピリリと辛くおいしい。
 陀羅尼助の製造では根しか使われていないようだが、とすると、残りの葉や実から、お茶とか佃煮とか、新たな商品が開発できるのではないだろうか。
 実はキハダの健康茶づくりを実践してみたくなり、夏に鉢植えのキハダをネットで購入したのだが、マンションの15階のバルコニーでは、さすがの薬木も育ちづらいのか、冬眠に入ってしまった。
 キハダの里の洞川あたりで「茶飲み友達」を募る方が確かかもしれない。

2011年11月12日土曜日

植物に学ぶ秋


今朝、バルコニーで発見。
殖やして食べようと思った春菊がきれいな花を咲かせてました。
その隣には、夏に芋虫に葉をすべて喰われて全滅した、と思い放置していたオクラが、
ふたつも実をつけてました。葉もないのに、子孫を残そうと最後に力を振り絞ったのでしょうか。
その周囲ではピーマンも頑張って実をつけ、ナスも花を咲かせてました。
強風の晩秋。15階にバルコニーで小さな鉢に閉じこめられた植物たちの
けなげで逞しい生命力に、元気をもらった朝でした。

2011年11月7日月曜日

観光も地産地消


 誘われて泉佐野市の観光ツアーに参加した。泉佐野市とは夏に修験道体験に行った犬鳴山があるところで、関西国際空港の地元。浦島桃子の私にはもちろん未知の地だったが、大阪の新友たちに話しても、え?それどこ?と言われる。いあわば、大都市大阪市の日陰にある地で、正直、あまり大きな期待もせずに出かけたのだが、意外な発見の連続。やはり関西は歴史が深いのだと関心した。
 空港から車でちょっとのところには、荘の郷という地酒の造り酒屋もある。利き酒も魅力ながら、昔ながらの木づくりの酒蔵の2階が素晴らしいイベントスペースになっていた。テーブルも酒樽のリサイクル使用した木で、空間全体にほのかな酒の香り。ここでそのうち念願のネイティブ・アメリカンの友人達を呼んでコンサートができたら・・・。この20日にはフラダンスや津軽三味線もある秋の祭りもあるそうだ。
 その近くには慈眼院というお寺があった。正面から見たら、こじんまりとした普通のお寺だったが、裏手に案内されてびっくり。みごとな庭園に高さ10メートル、国宝の多宝塔というのがあったのだ。鎌倉時代に建立されたもので、石山寺、高野山金剛三昧院の塔と並ぶ日本三名塔の一つだそうだ。石仏もたくさん散りばめられた庭園は心休まるいい雰囲気で、外国から友人を空港の行きか帰りに連れていくのに良さそうだ。
 旅というとついつい海外とか、京都、奈良とかに想いが馳せるが、よく考えてみたら心の旅に距離はいらない。近所で心弾み、癒される体験ができれば省エネにもなり、これ幸いだ。
 さて、このツアーで、思いがけず、犬鳴山の修験道体験に2度目の挑戦をすることになった。ちなみにこの犬鳴山も、神楽とか神社系に詳しい奈良の編集者の原さんも知らなかった秘境だ。
 実は犬鳴山自体はとても気に入ったものの、修験道体験は、ロープづたいに崖を歩く下山があまりに恐かったので、再挑戦する予定など毛頭なかったのだが、これもきっと天の思し召し、と参加した。と、同じルートなので、今回も一歩踏み間違えたら崖コロコロの世界だったのに、不思議なことに、それほど恐くもなく緊張もしなかった。
 「恐れ」の多くは高所恐怖ではなく、未知への恐怖だった、ということだろうか。こうした小さな悟りが修験道体験の真髄なのかもしれない。