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2011年9月19日月曜日

俱利伽羅大竜不動明王との出逢い


 犬鳴山の七宝瀧寺で一日修験道体験と滝修業に参加してきた。犬鳴山は役行者が修業の山として七世紀に開山したと伝えられ、後世にここで起こった猟犬の忠君逸話にちなんで、犬鳴山と呼ばれるようになったそうだ。新大阪から電車とバスを乗り継ぎ、最後は山道を徒歩で30分ほど登ると、役行者自作の俱利伽羅大竜不動明王を祀る修験寺の七宝瀧寺に着く。最寄りの駅のそばで育った友人も来たことはなかったと言っていたから、まさに都会の秘境だろう。
 お坊さんは「寺といっても何もなくこんなものですよ。質素なものでしょう」とおっしゃっていたが、神社仏閣は簡素で質実なほど、自然になじんで美しいような気がする。
 湿気も雨も多い日本で、周囲に何もない山の中で川と滝に囲まれながら、寺は何度も火災で焼け、立て直されてきたという。木造でその木がだんだん炭化して燃えやすくなるのだそうだが、火焔で人々の厄災を焼き尽くす不動明王のパワーなのだろうか。
 一日修験道といっても、実際には往復二時間程度の山修業プラス滝行という行程で気軽なためか、参加者は70人を超え、おそらくその半数は、修験道うんぬんというよりは行楽ハイキング目的の参加とみえた。
 滝行というのは海外でもやっているのか、日本独特なのだろうか、と何人かに聞かれた。
 その道の大家でもない私にはその答えは出せないが、スピリチュアルな儀式としての水行は世界の多くの伝統文化にみられるようだ。
 私が滝行に関心をもったのも、ネイティブ・アメリカンのチェロキー族の夏至の儀式で、川に沈む水の儀式に参加したことがあり、その記憶が鮮明だったからだ。キリスト教でも生後や死に臨んで聖水で清める儀式があるし、ユダヤ教もしかり。水を清めとし、水中から新たに出現することを生まれ変わりとみなすのは、人類共通のようだ。
 さて、たった数時間の修業でも、学びはある。大勢で数珠つなぎになっての山歩きでは、人の気も強く、自然と静かに向き合い対峙するのは難しかったが、ふだんは好き勝手に生きている身としては、一歩踏み外せば山から落ちる崖っぷちに立たされ、ロープ頼りで進まなければ帰れない、という状況に置かれたのはまさに修業。近くに車道があるわけでもなく、退避して休める場所があるけでもなく、先に進むしか選択の余地がないとなれば、覚悟を決めて足を踏み出さねばならないのである。