Welcome to Mindful Planet

2012年2月4日土曜日

Love Nature, No to Nuke


北米ではバレンタインズデーは男女平等、というより、むしろ女性はプレゼントをもらう側なのに、
日本ではどうして女性があげる側とされているのだろう。
商業的にも双方向にしたほうが売上げ促進になるように思うのだが・・

さて、梅田のブリーゼブリーゼ1階で昨日から14日まで開催中の
バレンタインズデーにちなんだiPHONEのケース・デザイン展
「+728 presents iPhone case collection 」にアランと一緒に参加している。

私のテーマは「自然から愛され、自然を愛する」
人も母なる地球の子供であることを想い出して、自然と共生ができる本来の生き方に戻るべき。
パワーは太陽や風や大地からもらえばよい。すべての生態系を破壊しかねない
原子力発電にはきっぱり別れを告げよう、というメッセージだ。
被爆で放射能の恐ろしさを学んだはずの日本人がいつのまにか狭い国中に原発を散りばめていたことすら
信じたくない真実。これほど明らかな形で示された震災からも教訓を得ることができずに滅び行く民にはなってほしくない、とう気持ちを込めて。





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□期間:2012年2月4日(土)〜14日(火)11:00〜21:00。

□会場:ブリーゼブリーゼ1階

□販売:2月4日(土)〜2月14日(火)。会期中は全日程販売を行います。

□時間:AM11:00〜21:00

2011年12月28日水曜日

ストレス解消にブレスワークのワークショップ


As you breathe, so you become.

シアトルから友人で優れたインストラクターのトレーシーを招いて自然な癒しを導く連続呼吸法のワークショップを開くことになりました。米国で開発された呼吸法ではLSDに代わる意識革命の誘因剤として精神科医のスタニスラフ・グラフ博士が開発したホロトロピック・ブリージングが有名ですが、Breath Awarenessの呼吸法は同様の連続呼吸法を利用しつつ、効果がマイルドになるように配慮した呼吸法です。過激な効果が出がちなホロトロピック・ブリージングと異なり、顕在意識を維持しつつ本人が望む程度で潜在意識にアクセスできるので安全です。

■体験セミナー:レクチャー+セッション1回の体験コース(3時間)@癒しの森
1月20日13:00-16:00 or 21日 18:30ー21:30 5000円

■ウイークエンド・リトリート:レクチャー+セッション3回)@癒しの森

1月20日:19:30ー22:30  21日 10:00ー17:00 15000円

■1デイ ワークショップ:レクチャー+セッション2回@セラ・ムーヴ
1月22日 10:00ー18:00 10000円

癒しの森: 京都府京田辺市三山木西ノ河原32-6  090-7760-6354  
セラ・ムーヴ:大阪(JR環状線福島駅・徒歩5分) 080−1362−2046

 呼吸の仕方は、その人の生き方の反映です。息を吸うことで、私達は生命力を取り込んでいますが、私達は、生きることに「イエス」と言っているでしょうか?息を吐くのは、いらなくなったものを手放すことですが、本当にそれができているでしょうか?いらなくなったものに固執してはいないでしょうか?私たちは人生の流れにゆったりと身を任せることができているのでしょうか?恐れや不安、痛みを感じた時には、私たちはどう反応しているでしょうか?
 こうした気づきは、呼吸が導いてくれる世界へのほんの入り口です。呼吸は自己治癒へのパワフルなツール。では、そうした呼吸をするには、どうすれば良いのでしょうか?

 気づきの呼吸のブレスワークでは、完全な深呼吸の仕方からお教えします。呼吸により肉体、精神、感情に影響を与えてきた潜在意識の記憶を呼び覚まし、トラウマの解消を誘います。そして、バイタリティ、エネルギーに満ち、自分自身をより深いレベルで理解し、よりクリアーに物事がみられるようになるよう、習性になっていた不完全な呼吸のパターンをリセットします。


 ブレスワークのセッションでは、参加者は仰向けに寝て、約一時間にわたり、途切れることのない連続呼吸を続けます。インストラクターが参加者の呼吸や様子をチェックしながら、動作や発声を指示したり、ツボの刺激で、吐き出すべき意識や感情のリリースを助けます。セッションの後には、パワフルな体験を理解し沈静化させるため、しばし、静寂を保ちます。
 ブレスワークは重ねることで、よりディープな体験が可能です。最も効果的なのは、2日間で引き続き3回のセッション。より確かな癒しの効果が期待できます。

■プライベート・セッション(2時間:15000円or12000円(通訳なし)
ご希望の方は連絡ください。 Mindful Planet Communications 080-1362-2046

2011年11月27日日曜日

役行者に誘われて、吉野山、洞川・天河


 役行者への縁が強いということなのか、今度は役行者の故郷で、修験道修業の本山として知られる大峯山を結ぶ吉野山と洞川・天河を訪ねる旅に誘われた。
 これまでもっぱら自分で行きたいところを見つけてきて出かけるタイプだったが、誘われての旅には、何か天意がある気もする。
 今回は奇しくも、3年前の夏にディスカバリーチャンネルのドキュメンタリーで取材した足跡をたどる旅となった。吉野山では、前回はビデオ取材を断固として拒否されたので素通りしてしまった金峯山蔵王堂もしっかり拝観。前回は雨だったので奥まで入らなかった竹林院群芳園の庭園が、実は小高い丘に続き、眺めの良い頂上があったことにも驚いた。
 一度食べたら忘れられないひょうたろうの柿の葉ずしは、やはり絶妙の味わいだった。カナダにいたときに、どうしても柿の葉ずしが食べたくなり、かといって柿の葉は手に入らないので、ギリシャ食品店で買ってきたオイル付けの葡萄の葉で巻いたしめ鯖のお寿司をつくったことがある。ギリシャ料理にはお米のサラダをこの葡萄の葉で巻いたドルマという前菜があるのだ。
 さて、奈良県南部は9月の台風で洪水や土砂崩れで大きな被害が出た地域だが、吉野山や洞川温泉は、実害よりもいわゆる風評被害で観光客激減という憂き目を見ている地域だ。
 特に洞川温泉は電車では辿り着けない地域だから、台風時に近くの幹線道路が不通といったニュースが流れると、その印象が長く残り、観光客から敬遠されてしまう。
 天河は実際に水害があり、天河神社の社務所は1メートル60センチのところまで水に浸かったそうだが、今は玉砂利もきれいに敷き詰められ、その痕跡も見あたらなかった。
 ところで、天河神社には本殿を見上げる形でしつらえられた能楽堂があるがその舞台の背に能舞台に定番の松の木が描かれていないのは、舞台背後にご神木の杉が並んでいるからだそうだ。神霊はその杉の木に降臨し、能役者に宿るという。自然と神性と人と関わりのこういう話を聞くとうれしくなる。
 洞川温泉はそもそもは役行者が始めた修験道が広まり、その修行者の宿場として栄えた特殊な地で、大峯山が閉山される10月以降は、温泉客が収入の頼り。過去10年間で修験者も減る一方だったところに加え、今年の秋は台風災害は免れたものの風評被害で観光客半減というのだから、事態は深刻だ。
 逆の見方をすれば、人の賑わいを避け、温泉に浸かって、ゆっくりしたい人にとっては穴場中の穴場ともいえる。
 私は、食事時で人が集まり出す前の開店直後のレストランとか、季節外れの観光地のゆとりのある静けさが好きだ。ことに温泉旅館では、混んでいないほど温泉風呂をひとり占めできるチャンスが多いからうれしい。
 洞川では名物、陀羅尼助もしっかり買い込んだ。キハダを原料とした陀羅尼助は役行者の処方の胃腸薬。自然薬だしとても良く効くので、アメリカにいたときにはわざわざ取り寄せていたくらいだ。
 このキハダは実はアイヌの伝統食でも医薬同源の食材。アイヌの人たちは葉や実もお茶にして飲む。使う部位によって効能が異なるそうだ。キハダの実は山椒のようにピリリと辛くおいしい。
 陀羅尼助の製造では根しか使われていないようだが、とすると、残りの葉や実から、お茶とか佃煮とか、新たな商品が開発できるのではないだろうか。
 実はキハダの健康茶づくりを実践してみたくなり、夏に鉢植えのキハダをネットで購入したのだが、マンションの15階のバルコニーでは、さすがの薬木も育ちづらいのか、冬眠に入ってしまった。
 キハダの里の洞川あたりで「茶飲み友達」を募る方が確かかもしれない。

2011年11月12日土曜日

植物に学ぶ秋


今朝、バルコニーで発見。
殖やして食べようと思った春菊がきれいな花を咲かせてました。
その隣には、夏に芋虫に葉をすべて喰われて全滅した、と思い放置していたオクラが、
ふたつも実をつけてました。葉もないのに、子孫を残そうと最後に力を振り絞ったのでしょうか。
その周囲ではピーマンも頑張って実をつけ、ナスも花を咲かせてました。
強風の晩秋。15階にバルコニーで小さな鉢に閉じこめられた植物たちの
けなげで逞しい生命力に、元気をもらった朝でした。

2011年11月7日月曜日

観光も地産地消


 誘われて泉佐野市の観光ツアーに参加した。泉佐野市とは夏に修験道体験に行った犬鳴山があるところで、関西国際空港の地元。浦島桃子の私にはもちろん未知の地だったが、大阪の新友たちに話しても、え?それどこ?と言われる。いあわば、大都市大阪市の日陰にある地で、正直、あまり大きな期待もせずに出かけたのだが、意外な発見の連続。やはり関西は歴史が深いのだと関心した。
 空港から車でちょっとのところには、荘の郷という地酒の造り酒屋もある。利き酒も魅力ながら、昔ながらの木づくりの酒蔵の2階が素晴らしいイベントスペースになっていた。テーブルも酒樽のリサイクル使用した木で、空間全体にほのかな酒の香り。ここでそのうち念願のネイティブ・アメリカンの友人達を呼んでコンサートができたら・・・。この20日にはフラダンスや津軽三味線もある秋の祭りもあるそうだ。
 その近くには慈眼院というお寺があった。正面から見たら、こじんまりとした普通のお寺だったが、裏手に案内されてびっくり。みごとな庭園に高さ10メートル、国宝の多宝塔というのがあったのだ。鎌倉時代に建立されたもので、石山寺、高野山金剛三昧院の塔と並ぶ日本三名塔の一つだそうだ。石仏もたくさん散りばめられた庭園は心休まるいい雰囲気で、外国から友人を空港の行きか帰りに連れていくのに良さそうだ。
 旅というとついつい海外とか、京都、奈良とかに想いが馳せるが、よく考えてみたら心の旅に距離はいらない。近所で心弾み、癒される体験ができれば省エネにもなり、これ幸いだ。
 さて、このツアーで、思いがけず、犬鳴山の修験道体験に2度目の挑戦をすることになった。ちなみにこの犬鳴山も、神楽とか神社系に詳しい奈良の編集者の原さんも知らなかった秘境だ。
 実は犬鳴山自体はとても気に入ったものの、修験道体験は、ロープづたいに崖を歩く下山があまりに恐かったので、再挑戦する予定など毛頭なかったのだが、これもきっと天の思し召し、と参加した。と、同じルートなので、今回も一歩踏み間違えたら崖コロコロの世界だったのに、不思議なことに、それほど恐くもなく緊張もしなかった。
 「恐れ」の多くは高所恐怖ではなく、未知への恐怖だった、ということだろうか。こうした小さな悟りが修験道体験の真髄なのかもしれない。

2011年9月19日月曜日

俱利伽羅大竜不動明王との出逢い


 犬鳴山の七宝瀧寺で一日修験道体験と滝修業に参加してきた。犬鳴山は役行者が修業の山として七世紀に開山したと伝えられ、後世にここで起こった猟犬の忠君逸話にちなんで、犬鳴山と呼ばれるようになったそうだ。新大阪から電車とバスを乗り継ぎ、最後は山道を徒歩で30分ほど登ると、役行者自作の俱利伽羅大竜不動明王を祀る修験寺の七宝瀧寺に着く。最寄りの駅のそばで育った友人も来たことはなかったと言っていたから、まさに都会の秘境だろう。
 お坊さんは「寺といっても何もなくこんなものですよ。質素なものでしょう」とおっしゃっていたが、神社仏閣は簡素で質実なほど、自然になじんで美しいような気がする。
 湿気も雨も多い日本で、周囲に何もない山の中で川と滝に囲まれながら、寺は何度も火災で焼け、立て直されてきたという。木造でその木がだんだん炭化して燃えやすくなるのだそうだが、火焔で人々の厄災を焼き尽くす不動明王のパワーなのだろうか。
 一日修験道といっても、実際には往復二時間程度の山修業プラス滝行という行程で気軽なためか、参加者は70人を超え、おそらくその半数は、修験道うんぬんというよりは行楽ハイキング目的の参加とみえた。
 滝行というのは海外でもやっているのか、日本独特なのだろうか、と何人かに聞かれた。
 その道の大家でもない私にはその答えは出せないが、スピリチュアルな儀式としての水行は世界の多くの伝統文化にみられるようだ。
 私が滝行に関心をもったのも、ネイティブ・アメリカンのチェロキー族の夏至の儀式で、川に沈む水の儀式に参加したことがあり、その記憶が鮮明だったからだ。キリスト教でも生後や死に臨んで聖水で清める儀式があるし、ユダヤ教もしかり。水を清めとし、水中から新たに出現することを生まれ変わりとみなすのは、人類共通のようだ。
 さて、たった数時間の修業でも、学びはある。大勢で数珠つなぎになっての山歩きでは、人の気も強く、自然と静かに向き合い対峙するのは難しかったが、ふだんは好き勝手に生きている身としては、一歩踏み外せば山から落ちる崖っぷちに立たされ、ロープ頼りで進まなければ帰れない、という状況に置かれたのはまさに修業。近くに車道があるわけでもなく、退避して休める場所があるけでもなく、先に進むしか選択の余地がないとなれば、覚悟を決めて足を踏み出さねばならないのである。

2010年6月30日水曜日

日本人の呟きはつまらない?




 誰がそう決めたのか、6月30日は世界ソーシャルメディア・デイということに
なったそうだ。
 その記念で昨日は世界中で様々なイベントが行われたようで、私も恵比寿で行われたイベントに参加してきた。
 主催はたしかスイスで生まれた電子名刺を流行らせようとしている企業で、参加者は外国人と日本人が半々くらいだったのだろうか。
 3時間にわたるマラソン・スピーチで、ツイッターやフェイスブックを利用したサクセス・ストーリーなどが披露された。予算がないので通訳なし、とのことで、
スピーチは英語だったり日本語だったり。
 北米でのソーシャルメディアについてはそれなりに知っていたものの、日本では何がどう流行っているのか分からない私にとっては、それなりに面白かったのだが、どのスピーチにも増して印象に残ったのは、後で観客のひとりの日本人の男性のひとことだった。
 講演者たちが語っていた情報は、ちょっと古すぎて、日本の現実を反映していない。
質疑応答で外国人から出た質問にしても、日本語が読めさえすれば、本屋で山積みで情報はすでに出ている内容だ、というのだ。
 帰り道につらつら考えていて、気づいたのだが、いくらネットで世界が結ばれる時代になっても、やはり言葉の壁は大きいし、日常環境から得る情報の力は大きい。
 日本は情報鎖国だから、日本にいる外国人は、いくら頑張っても本国にいるときに比べれば世界の先端情報について疎くなるし、日本における先端情報に関しては、英語に翻訳された情報と口コミが頼りだから、殆ど無知に近いことになる。
 でも対外的には日本にいる外国人はいちばんの日本通だから、彼らの理解できる範囲での日本像が世界に伝わっていくことになる。
 もうひとつ、スピーカーの発言で印象に残ったのは、日本人のツイッターは全然面白くない、ということだった。
 英語版のツイッターだと、呟きの内容は情報だったり意見だったり、内容が濃いが、
日本人の場合は、ほとんど、雨だ、とか眠い、とか、どうでもよいようなことばかりだという。
 これって、社会性に欠ける、という日本人の国民病をみごとに反映している気がする。